水曜練習(サヨナラセイチ)

 今日も寒かったですね((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル・・・筆山ですらこの寒さですから週末の工石山ともなると寒さの想像がつきませんね・・・さらに野外できのこ鍋という暴挙も繰り広げるというのに・・・(笑)まあ~去年も寒い中でも何とかなりましたから今年も何とかなると楽観視しておりますが・・・唯一辛いのは洗い物くらいですかね、去年は「ひやい~っ!!」と終始叫びながら洗いました(笑)建物下で入り込んでるので存外寒くはないのですが・・・風が吹かないことだけ祈ってます

 そんな寒い日々が続いておりますが、今日もいつもと変わらず個人練習とアンサンブルの練習。人数が少ないので合わせるには微妙ですが忙しくてあまり来れないメンバーにとっては1回1回が貴重ですから来ているメンバーのみで合わす事に・・・9重奏のところ3人でですが(爆)それでも細かい所までじっくり出来るのでこれはこれで良い練習になりますねヽ(*´∀`)ノ キャッホーイ!!。特に怪しい中間部は個人でやると訳が分からないので少なくても他のメンバーと合わすというのは想像以上に良かったです
 その後はオッサンカルテットを合わして疲労困憊で終了_| ̄|○ il||li。前半部分が珍しく切り抜けれれば、もう一回戻って来た時には吹けないというオチが実力不足を物語ってます・・・休みが無いだけじゃないのが辛いとこですが(笑)
 合宿では土曜日はほぼ個人練習なのでじっくりとさらってみようかと思います・・・もう少し精度が上がらないとどもならんですからね┐(´∀`)┌ヤレヤレ頑張ります。

 という事で週末は久し振りの合宿ですが充実した2日間となるようにしたいもんですね


 たまにはK氏の要望に応えてマニアック話しも絡めた話題を・・・先月全国大会が終了したコンクールですが、ここ2年全国大会は普門館が耐震問題で使用できなくなったのもあり名古屋国際会議場で開催されておりましたが、ニュースを見てたら1972年から2010年まで全国大会で使用され吹奏楽の聖地として多くの吹奏楽関係者から憧れられた普門館が改修や改築を断念したそうで二度と普門館で全国大会は開催出来ない事になったそうです_| ̄|○ il||li。建物自体震度7位は耐えれれるらしいですが、天井部分の崩落の恐れがあるそうでしてこれが断念した理由のようですね・・・まあ~本当に大きいですから天井だけ直すというわけにもいかなかったんでしょうな・・・。。
 普門館は客席5000席という巨大なホールで当然国内には同等の会場はそうそう無いもので今の名古屋国際会議場は3000席ですから2000席も少なくチケット争奪戦は益々激化しております。普門館自体はホールというよりも所有する宗教団体の集会施設の意味合いが強いんですが、過去にはカラヤンとベルリンフィルが演奏したホールとしても有名であります。音響的には5000人収容の建物ですからお世辞にも良いとは言い難いですが(だから爆音議論になります(爆))それでもあの黒い床、巨大なステージ、圧倒的な座席数と、舞台から伸びるエスカレータ(爆)と普通のホールでは味わうことが出来ない独特の感覚はまさに聖地として長年愛されてきた理由でもあるかと思います・・・。
 管理人も学生時代に憧れましたが当然全国なんて遠い夢で終わり(笑)、県外へ出て初めて普門館を訪れた時は本当に感動しました(笑)全国大会を聴きに行く前に下調べと称して都大会を聴きに行ったのですが何を見ても大きさにただ圧倒されたもんです、今でこそ都大会も大人気なようですが、当時の都大会は1日で全部門開催の日程な上に東&西関東と比較するとレベルもそこまで高くなかったのと普門館という場所もあり朝から行ってもガラガラでしたから、普門館を色々見て回ったのを思い出します・・・当然マニアにとっても聖地ですからね(爆)何より驚いたのは座席の背もたれとかやたら大きかった事・・・・良い思い出です(笑)
 あの黒い床がもう見れないと思うと残念でなりませんが安全には変えれませんし、公的な建物ではないので難しいでしょうから仕方ないかと思います。

 ということでここからは少しマニアックに高知県からあの普門館の黒い舞台に立てた団体という話題へ・・・出場した年代順からいくと・・・最初は鏡野中学校OB吹奏楽団(現鏡野吹奏楽団)が昭和52年の第25回大会( シンフォニックバンドのための「パッサカリア」)と昭和54年度第27回大会(喜歌劇「詩人と農夫」序曲)で2回出場されています、この54年の全国大会を最後に大学、職場、一般部門は普門館開催ではなくなりますから貴重な出場ですね、今考えても羨ましい限りです(笑)
 次は土佐女子高校が昭和59年度第32回大会(ディオニソスの祭り)に初出場しております、この時代少し前辺りから福岡の中村学園女子高校や岡山の就実高校等の女子高校の活躍が目立ち出します、当時はまだ男子部員も多かったですから今では珍しくない女子だけの編成が逆に珍しい時代ですね、その後も土佐女子高校は昭和62年第35回大会(楽劇「サロメ」より 7つのヴェールの踊り)、翌昭和63年第36回大会(交響組曲「寄港地」)、平成4年第40回大会(エル・サロン・メヒコ)、平成7年第43回大会(ディオニソスの祭り)、平成8年第44回大会(舞踏組曲)、平成10年第46回大会と出場し平成10年第46回大会では見事金賞を受賞します、その後この年自由曲で演奏した「コンサートバンドとジャズアンサンブルのためのラプソディ」(P.ウィリアムズ/S.ネスティコ)翌年から全国各地で大流行しました、何故かエレキバージョンで演奏するのが当たり前みたいになってましたが・・・管理人的にはエレキを使用してない土佐女子の演奏が一番好きですね、エレキを入れると低音が強調され過ぎて違和感が・・・(笑)コントラバスでベースを刻むほうが自然な気がしますね・・・ただ、エレキ使用禁止になるとそれに比例して演奏頻度ががくんと下がりましたけどね正に1つの時代を創った名演でありましたヽ(´∀`)人(・ω・)人( ゚Д゚)人ワショーイ
 そして土佐女子のほかには今では野球の名門として全国にその名が知られている明徳義塾高校が昭和62年第35回大会(シンフォニア・フェスティーヴァ)に出場しています、その後平成11年第47回大会では県立高校として初の全国出場となった岡豊高校(交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」)、記憶に新しいところでは高知西高校が平成16年第52回大会(歌劇「はかなき人生」)へ見事出場を果たし、平成19年第55回大会(レッドライン・タンゴ)、21年第57回大会(「アクシス・ムンディ」より 1.アパティア、2.ヘードネー(快楽主義))、22年第58回大会(リベレーション(我を解き放ちたまえ))と普門館開催の全国大会へ出場されています。

 さあ~本体より長くなってきたマニアック話ですが・・・(笑)
 最後に中学校部門です。中学校での普門館初出場は安芸中学校が昭和62年第35回大会(海の歌)ですがこの時が高知県の中学校としても初の全国大会初出場となります、ちなみにこの年は中高合わせて代表4団体のうち3団体が高知県代表でした(* ̄∇ ̄)//(* ̄∇ ̄)//パチパチヾ( ̄∇ ̄*)ヾ( ̄∇ ̄*)、この年は中高A部門全てが金賞、惜しくも代表からもれた某中学校も代表次点という高知県代表のレベルがすこぶる高かった時代ともいえます、その後時代は平成に入りA部門へ彗星の如く現れた赤岡中学校が平成元年(楽劇「サロメ」より 7つのヴェールの踊り)、平成2年(「夜想曲」より Ⅱ.祭り)、平成3年(バレエ組曲「火の鳥」より)と連続出場、また土佐女子中学校が同じ平成元年の初出場(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲より 夜明け、全員の踊り)となり、その後は平成4年第40回大会(アルメニアン・ダンス・パート1)、平成7年第43回大会(組曲「バレエの情景」より)と出場しこの時代はまさに高知県の中学校は黄金期を迎えます、また平成5年第41回大会では鏡野中学校が悲願の全国出場を果たしてます(吹奏楽のための「神話」)。今年も高校や一般部門は全国大会へと進んでおり活躍をみせておりますが、中学校部門は平成7年の土佐女子中以来全国の舞台から長らく遠ざかっておりますのでそろそろ高知県代表の中学校が立つ姿を見てみたいものですね
 
 とだいぶマニアックな話になりましたが(笑)これだけの団体が高知県から普門館の舞台を踏んでおります、実際学生時代の同級生にも団員にも普門館を踏んだメンバーが居り話をしましたが、普門館に立てなかった管理人の興奮とは逆に出た側はだれもかれもあっさりしたもんでした(爆)まあ~そんなもんかもしれませんね、憧れてる方は永遠に憧れたままですしね(笑)

 今回の断念でもう普門館へ立ちたくても立つ事が出来なくなりましたので、普門館の舞台へ立った方はより大事にして頂きたいですねいやあ~管理人も当時は普門館へ立つのに色んな手段考えたんですが実行しとけば良かったです(笑)これからは目指せ名古国!とかになるんでしょうかね~大きくて凄いとは思いますが床の色が普通なのでどうも・・・(爆)まあ~今も昔も全国の舞台へ立つのが難しいのは変わりませんね

 普門館と高知県代表少しマニアックなお話でした今回のお話K氏はお気に召して頂けましたでしょうか?(笑)
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